2011年04月29日 山が~~! 竹の子堀りに山へ行ったところ、 大変なことになっていた。 今年の大雪のため、 孟宗竹が、根元からごっそりと、 倒れていた。 道がない! どこから入ればよいのか? それでも、何とか、山へ分け入り、 30本位の竹の子が採れた。 タグ :#島根県
2011年04月28日 延期! またまた延期・・・・ 4月23日は低気圧の通過で延期となり、4月30日に変更するも、 どうも1日の天気があやしい。 曇り時々雨で60%! 波浪予想では、1日は大荒れみたいな・・・ 従って、再度延期が決定。 外海は、ほとんど釣れていないらしい。 明日のカメヤの大会は、内海でやるらしい(船は出るらしい) 5月3日は、満員とのことで、4・5日に予約を入れましたが、 やはり、天気が怪しい! タグ :#島根県
2011年04月20日 30年ぶりの再会 3月の中頃、突然、大学時代の友達から電話があり、大学を卒業してから30年を記念して同窓会をやろうと電話があった。 その同窓会が、先週の土曜日にあった。 集合場所は、大阪のホテル。 会うまでは、30年経ってどんなに変わってしまったのか、ワクワクドキドキだったが、 会って、3分もすれば、当時の気持ちにすぐ戻った。 あいつの声、しゃべり方、歩き方、変な癖、ちっとも変わっていない。 30年も経ったはずなのに、これほどまで変わっていないのは驚きだ。 そのまま宴会へとなだれ込み、大盛り上がりの宴会が始まった。 こんなに大笑いをした宴会は、今までなかったのではないか。 やはり、大阪の人間は、みんな花月出身ではないかと思うほど、笑わせてくれる。 そのあとの二次会は、青春を過ごした阪急東通りへ繰り出した。 しかし、当時を思い起こすものは、全く無かった。 次の日は、9時半に集合し、皆揃って大学へ行くことになった。 中年のおっさんが、15人もかたまって、ワイワイゲラゲラと大騒ぎしながら向かった。 まわりから見れば異様に映ったことだろう。 ホテルから、電車に乗り大学のそばの駅で降り、商店街を歩いて向かった。 しかし、皆記憶にあるのは、パチンコ屋と飯屋のみ。 それ以外は、思い出そうにも・・・・ 途中、バイトしていた喫茶店は、本屋になっていた。 大学は、閉まっていたが、警備の方にお願いして入れてもらった。 かなり、建物が増えていたが、当時の建物もまだ残っており、当時の記憶が蘇った。 解散後、3人で当時住んでいたアパートへ向かった。 私が住んでいたアパートは、入口が変わっていたが、外観は当時のままだった。 そのあと、友達の住んでいたアパートへ向かったが、 驚いたことに、当時のままのアパートがそのまま残っていた。 30年前でも、相当ボロボロのアパートだったが、 何と、そのままの状態で建っており、3人ともかなり興奮してしまった。 30年前よりは、自分は相当大人になり、変わったはずと思っていたが、 30年前のままの自分と全く同じだったことに愕然とした。 来週の隠岐遠足は、中止となり、1週間延期することになってしまった。 せっかくの楽しみが1週間延びてしまって残念たが、 水温も低く、あまりいい情報が入っていなかったので良しとしよう。 タグ :#島根県
2011年04月10日 2ヶ月ぶり 今年、ようやく2回目の釣り。 どうしても、3月に行きたかったが、 3月は、土日なしでずっと仕事をしていた。 残業時間は、120時間を越えたが、管理職のため1円も無し。 土曜日、朝5時に渡船屋へ状況を聞くと、 「まだ、うねりがあって無理」 10時ごろ、ネットでライブカメラで確認すると、 松島に一人いるではないか。 慌てて、渡船屋へ電話すると、だいぶうねりも落ちてきたとのこと。 それならばと、向かうことにした。 11時に港へ着くと、K渡船は、エンジンを掛け準備していた。 まずは、松島へ向かう。 松島は、すでに6人くらいいるようだったので、 舟島へ変更。 舟島は、誰も上がっていない。 波も大丈夫そうだ。 まずは、カゴまで16ヒロ、ハリス6号4.5ヒロ。真鯛針、12号。でスタート。 1投目、東向き本場へ投入。 ウキが立つと、ぐんぐん北へ流される。 いい潮だが、早すぎる。 最初は、マキエを効かせる為早めに回収。 サシエは残っている。 ひたすら打ち返すも、一向に当たり無し。 舟島で、潮が早すぎるときは、当たりが出ない。 北西の風が、どんどん強くなる。 追い風になるので、仕掛けが良く飛ぶ。 1時、潮がピタリと止まる。 同時に、エサトリもいなくなる。 時折、サシエが半分かじられるが、ほとんど、残ってくる。 だんだん心が折れ、3時に撤収。 全くのボーズ。 真鯛は、ほとんど揚がっていないようだ。 チヌも3月には釣れていたようだが、ここのところほとんど揚がっていないとのこと。 こんな状況では、再来週の隠岐遠足は、厳しくなりそうだ タグ :#島根県